![]() ◎設計:東京市(岩切良介) ◎施工:栗原組 ◎竣工:昭和3(1928)年 ◎構造:鋼鉄製 ◎所在地:東京都墨田区向島~台東区花川戸 先日別プログで墨田区立言問小学校(昭和11年築)を紹介しましたが、そこより数分ほど歩いた隅田川に架かるのがこの言問橋です。 現在の橋は関東大震災後の復興事業の一環として昭和3年に竣工した、東京に残るレトロな橋の一つでありますが、震災前はここには橋はなく復興事業を機に新たに新設された橋ということになります。またゲルバー式鋼板桁のシンプルなデザインで、言問橋の下流に架かる永代橋や清洲橋、厩橋になどに比べるとインパクトがないように思えますが、これは言問橋周辺の隅田川両岸に造成された隅田公園の景観を崩さないようにシンプルな設計がされたとも言われています。そう言われると、計算された見事な設計であります。 またこの界隈、隅田公園をはじめ鉄筋コンクリート製の震災復興小学校舎である小梅小学校なども落成し、震災復興の象徴ともいえる場所でしたが、隅田公園も当初の形状から大きく形を変え、小梅小学校も新しい校舎へと建て替えられ、昭和はじめの華やかさを伝えるのはこの言問橋だけになってしまいました。そういう歴史的背景を考えても、もっと知られて良い橋なのでは・・・?、と私は思ってしまいますが。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-05-29 20:29
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![]() ◎設計:東京市 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和3(1928)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造2階建て ◎所在地:東京都江東区清澄3 先日別プログにて、昨年深川東京モダン館としてリニューアルオープンした旧東京市深川食堂(江東区、昭和7年築)を紹介させていただきました。 この旧東京市深川食堂は関東大震災後の復興事業の一環として建てられたものですが、この他にも江東区内には関東大震災後の復興事業の一環として建てられた興味深い建造物が現存しています。それが清澄公園の東側、清澄通り沿いに建つ旧東京市営店舗向住宅です。 一見すると、よく町中に建っていそうなちよっと古めの商店建築だと思われるかも知れませんが、その歴史はかなり古く昭和3年に建てられたもの。つまり今から82年前に竣工した町の生きる文化財とも言える存在な訳です。また関東大震災後の復興建築ということもあり、鉄筋コンクリートにて施工されています。 なお冒頭でご覧頂いた写真は北側から撮影したものですが、六軒ワンセットの商店群が清澄公園脇に5棟並んでいます。その長さは約200メートル。今回ご覧頂いている写真を撮影しながら、この前を往復しましたが、その長さはかなりのものでした。 清澄の旧東京市営店舗向住宅のような鉄筋コンクリート製の商店建築を連続して建てるというプロジェクトは、函館の銀座通りの防火建築帯(大正10年~12年)という前例はありましたが、より計画的に造られたのはこの清澄の鉄筋コンクリート商店群が初めての例だったのではないかと考えられます。 時代の変遷とともに外壁が改修されたり、屋上を増築したもの商店が殆どですが、建物の角には竣工当初からのアールデコ調の装飾も残されており、この建物が建てられた当時の煌びやかさが偲ばれます。ごく当たり前に日常の暮らしの中に生き続けている築82年のレトロ建築、もっと評価されていい筈です・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-04-19 20:19
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![]() ◎設計:東京市 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和3(1928)年3月 ◎構造:3径間鋼鉄ガーター橋 ◎所在地:東京都江東区佐賀1丁目~福住1丁目 今回は久々に東京下町に残るレトロな橋梁を紹介したいと思います。 この御船橋(みふねはし)は、東京メトロ東西線の門前仲町駅より徒歩数分の大島川西支川に架かる橋で、昭和3年に竣工したものです。 個人的には御船橋より東数10メートルの場所に建築家・関根要太郎(1889~1959)の設計作品である村林ビル(昭和3年築)があることもあり、時折ここ界隈を歩くことがあったのですが、最近になりこの橋の素晴らしさに気付いた訳です。よく見ないとただ通り過ぎてしまいそうな地味な橋ですが、橋の親柱には昭和初期に流行していたアールデコ調のゴツゴツした装飾、また欄干の部分にはシンプルな図柄ではありますがその親柱と対になったような、ちょっと洒落た装飾も施されています。 ちなみにこの界隈、大規模な工場やオフィスビルも建っていますが、下町風情溢れる町屋もチラホラと残る一帯。そのような在りし日の東京を想像してしまう洒落た橋であります。なおこの上流に架かる緑橋との姿もなかなか絵になっています。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-04-15 20:15
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![]() ◎設計:同潤会 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和4(1929)年3月 ◎構造:鉄筋コンクリート造2階建て ◎所在地:東京都台東区東上野5-4-3 この同潤会アパートメントは、地下鉄銀座線の稲荷町駅のすぐそばにあるものです。 同潤会は関東大震災後の住宅供給を目的に東京・横浜に10数箇所のアパートを建てましたが、この上野下アパートはその中で現存する数少ない作品であります。同潤会アパートというと解体時に話題になった江戸川橋や青山などの大規模施設を想像してしまいますが、この上野下アパートは鉄筋コンクリート造4階建ての棟が二つだけの小規模なものです。外観を見る限りでは築80年を過ぎたとは思えないほど、メンテナンスが行き届いているのも驚きであります。このアパートが竣工したのは日本初の地下鉄が上野・浅草間に開通した約1年半後、その駅を下車してすぐの場所に建つ上野下アパートは当時の人々にとっては高根の花だったに違いありません。 現在も一般の方が住まわれているので迷惑にならない程度に見学していただきたい、昭和戦前のモダン東京の雰囲気を今に伝える貴重な遺産であります・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-04-03 18:03
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![]() ◎設計:伊東忠太、佐野利器 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和6(1931)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造2階建て ◎所在地:東京都墨田区横網2-3-25 ❖東京選定歴史的建造物 先に紹介した東京都慰霊堂が建つ横網公園内にあるのが、この東京都復興記念館。こちらの建物は慰霊堂竣工の翌年に建てられたもので、当初は関東大震災後の復興展示を主におこなっていましたが、慰霊堂が戦災犠牲者を合祀するようになったのに伴い、一部戦災被害の展示もおこなうようになったといいます。 そして復興記念館の設計も建築家・伊東忠太が担当。外観は大正末から国内で流行していたスクラッチタイル張り、また一部の窓枠にはフランク・ロイド・ライト的な幾何学模様のデザインが用いられるなど、この当時のモダン建築のエッセンスを十分に吸収したものになっています。しかし2階の東洋的な屋根瓦とそれを支える軒下の持ち送り、そして正面玄関上の三角形のオーダー上に置かれている動物のモニュメントなどは、いかにも伊東忠太らしい味を醸し出しています。慰霊堂とはまた違う輝きを見せる伊東忠太らしい建築作品と言えるのではないでしょうか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-04-02 00:02
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![]() ◎設計:伊東忠太、佐野利器 ◎施工:戸田組 ◎竣工:昭和5(1930)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造 ◎所在地:東京都墨田区横網2-3-25 ❖東京都選定歴史的建造物 JR総武線両国駅北の横網町内に建つのが、今回紹介する東京都慰霊堂です。この建物は昭和5年に大正12年9月に起きた関東大震災の犠牲者の霊を弔う〔震災記念堂〕として建てられたものですが、昭和26年には太平洋戦争の被害者の霊も合弔し、東京都慰霊堂と名称を改称し現在に至っています。 また鉄筋コンクリート造の慰霊堂は寺社建築によく見られる純和風のデザインになっていますが、どことなくそれらの物とはちょっと違った雰囲気が漂います。それもその筈、この慰霊堂は築地本願寺、明治神宮、平安神宮などの設計を手掛けた建築家の伊東忠太(1867~1954)がデザインを手掛けたからです。伊東忠太といえば明治中期に中国やインドの寺院建築の実地調査をおこない、その調査の影響もあったのでしょうか自らの設計作品では東洋趣味の影響が見られるアクの強い設計作品を残しています。この慰霊堂もその中の一つではないかとも思います。慰霊堂の西側に建つ三重塔や建物各所にいる動物のモニュメントなど、建物各所には伊東忠太らしい持ち味が十分に発揮されているので、そちらもじっくり観察していただくとこの建物の摩訶不思議さを更に実感していただけるかも知れません・・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-04-01 23:01
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![]() ◎設計:南省吾、震災復興助成社 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和2(1927)年 ◎構造:鉄筋コンクリート造3階建て ◎所在地:東京都千代田区神保町3-4 この古びたビルディングは、地下鉄九段下駅そば日本橋川の畔にあるものです。 現在は九段下ビルと呼ばれていますが、もともとは震災復興助成社の今川小路共同建築として昭和2年に建てられたもの。大正12年の関東大震災後の不燃建築促進のために建てられた、震災復興建築の一つであります。なおこのビルディングの建築主である震災復興社は同ビルの建設に際し、1階と2階部分を店主の店舗兼住宅、また3階部分を貸し部屋にし建設費の負債返済に充てようと計画したそうですが、当初のシナリオ通りには事は進まず多くの負債を抱えたまま解散したとの事です。ちなみに戦前、この建物のような不燃素材の共同建築を建てる事例や計画は幾つかあったようですが、現存する建物などから考えると実現に至るまで難しいプロジェクトだったと推測されます。 またこの九段下ビル、以前は1階部分に万遍なくテナントが入居する活気あふれるビルでしたが、現在ではそのテナントも少しずつ撤退。また外壁には防護用のネットが貼られ、近いうちに解体されるようです・・・・。 ❖参考・・・・・・「建築探偵入門」東京建築探偵団著、1986年、文藝春秋社刊 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2010-03-26 01:26
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![]() ◎設計:東京市 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和4(1929)年 ◎構造:鋼鉄製 ◎所在地:東京都中央区東日本橋2~台東区柳橋1 東京の武蔵野台地を源流とする神田川。起伏の激しい東京の谷地を流れ、最後には隅田川へと合流します。その最後に架かるのがこの柳橋です。 こちらも既に取り上げてきた橋と同じく、大正12年の関東大震災後に架設された復興橋梁のひとつで、花町・柳橋ということから〔かんざし〕をモチーフとした橋のデザインになったといわれています。この橋の周辺に停泊する屋形船とこの橋の姿、いつ見ても風情がありますね・・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2009-07-26 19:26
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![]() ◎設計:東京市 ◎施工:東京市、神戸川崎造船所 ◎竣工:昭和3(1928)年 ◎構造:鋼鉄製吊橋 ◎所在地:東京都中央区日本橋中州~江東区清澄 ❖国指定重要文化財 清州橋といえば言わずと知れた東京の名橋のひとつですから、ここでは説明を省かせいただきます。 いつ見ても素敵ですが、欲をいえば首都高速の隅田川大橋が架かる前の永代橋と清州橋がペアで見える姿を見たかったです・・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2009-07-24 00:24
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![]() ◎設計:東京市臨時復興局 ◎施工:不詳 ◎竣工:昭和5(1930)年1月 ◎構造:1径間鋼製ガーター橋 ◎所在地:東京都江東区佐賀町2丁目中之堀川 この豊島橋は前回紹介した緑橋の数10メートル上流の、大島川西支川の支流・中之堀川に架かるもの。 支流の支流ということで、少し頭がこんがらがってきますが、かってこの中之堀川は隅田川と繋がるバイパス的な役割の河川だったようです。今はその大半が埋め立てられてしまっていますが、昔の江東区(深川)は毛細血管のように運河が巡っていたといいます。 この豊島橋、通っただけでは何の変哲のない橋にも見えますが、昭和5年に架設されたというもの。前回の緑橋と同じく、こちらも大正12年の関東大震災後の復興始業で架けられた橋梁の一つということになります。 まわりの施設のため全体像を撮影できることはできませんでしたか、このような長年に渡り人々の暮らしを支えてきた無名の橋に敬意を表して、この日はゆっくりと20メートルあまりの短い橋を眺めてしまったものです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2009-07-23 23:06
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