近代建築写真室@武蔵野台地
2023-11-18T12:18:02+09:00
tokyo-farwest-net
『関根要太郎研究室@はこだて』の番外編プログ。本編で取り上げていない近代建築の写真を中心に紹介していきます。
Excite Blog
栃木市宇都宮市の日本聖公会宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂
http://farwestto.exblog.jp/241977633/
2023-11-18T12:18:00+09:00
2023-11-18T12:18:02+09:00
2023-11-18T11:43:36+09:00
tokyo-farwest-net
■栃木
◆日本聖公会宇都宮聖公会ヨハネ教会礼拝堂 ◎設計:上林敬吉
◎施工:不詳
◎竣工:昭和8(1933)年
◎構造:鉄筋コンクリート造平屋、外壁大谷石貼り
◎所在地:栃木県宇都宮市桜2-3-27
❖宇都宮市指定文化財
本日は別ブログにて栃木県宇都宮市に建つ、カトリック松が峰教会(設計:マックス・ヒンデル、昭和7年築)を紹介させていただきました。鐘楼が美しい地元栃木産の大谷石貼りが印象的な教会でしたが、大谷石の町・宇都宮にはもう一軒、美しい教会が建っています。それがこちらで取り上げさせて頂く宇都宮聖ヨハネ教会です。
聖公会(英国国教会)は東京にその直営校である立教大学を置いている事もあってか、関東地区には多くの聖公会の教会があるような気がします。宇都宮の聖公会もその一つで明治半ばからの歴史を持つと言います。現在使われている宇都宮の聖公会は、カトリック松が峰教会の竣工の翌年にあたる昭和8(1933)年の竣工。松が峰教会と同様に鉄筋コンクリート造の躯体に大谷石を貼るというスタイルが採られています。
設計は聖公会の信者で多くのミッション系の施設の設計を手掛けていた、建築家・上林敬吉(1884~1960)が担当しています。上林は元立教大学の教授で、ミッション系や邸宅の設計を多く手掛けていたJ・М・ガーディナー(1857~1925)が主宰する建築事務所の筆頭スタッフの一人で、ガーディナーの没後も師・ガーディナーの遺した人脈を生かし、多くの建築作品の設計を手掛けました。その一つが宇都宮の教会だった訳です。
聖公会の聖堂によく見られるモダン・アングリカンを用いた伝統的でありながら、モダンな聖堂でした。聖堂内を見学できなかったのが悔やまれますが、大谷石の町・宇都宮ならではの美しい教会建築でした。
]]>
東京隅田川の吾妻橋
http://farwestto.exblog.jp/241962519/
2023-10-28T10:28:00+09:00
2023-10-28T10:28:02+09:00
2023-10-28T09:03:38+09:00
tokyo-farwest-net
■東京・23区
◆東京隅田川の吾妻橋
◎設計監督:田中豊
◎橋梁設計:岩切良助
◎施工主体:東京市復興局
◎施工:錢高組
◎起工:昭和4(1929)年6月
◎竣工:昭和6(1931)年6月
◎構造:鉄骨ソリッドリブタイトアーチ橋
◎所在地:東京都台東区花川戸~墨田区吾妻橋
❖東京都選定歴史的建造物
本日は別ブログにて東京隅田川に架かる、駒形橋(橋梁設計:岩切良助、昭和6年竣工)を紹介した事もあり、その1本上流に架かる吾妻橋を紹介したいと思います。吾妻橋(あづまばし)という名前を言っても「どの橋?」と思ってしまう方もいらっしゃると思いますが、東京メトロや東武鉄道の浅草駅すぐそばに架かる、赤い橋の事です。橋の後方に建つ謎のオブジェで有名な、大手ビールメーカーのビルの手前に架かるあの橋と言えば、更に想像が付いたでしょうか?。
現在隅田川の中流から下流に架かる橋の多くは、関東大震災後の復興事業の一環として架けられたもので、吾妻橋は昭和6(1931)年の竣工。この橋は江戸期から続く隅田川に架かる歴史のある橋で、長年に渡り木製の橋が架けられていましたが、明治20(1887)年に鉄製の橋が完成しています。但し床板が木製だったため床板が焼け落ち、大正12(1923)年9月に発生した関東大震災では多くの市民が犠牲になっています。そのような悲劇を繰り返さないためにも、総鋼鉄骨製(一部石材およびコンクリート使用)で造られた橋の一つが吾妻橋でした。
構造は鉄骨ソリッドリブタイトアーチ橋。浅草の繁華街も近い事もあり、橋上に装飾を設けないことで近辺の景観と調和を図る目的で、このようなデザインが施されたと想像されます。この橋、近くから見ると少し物足りなさを感じますが、川面から鉄骨の造形を見るとなかなかの迫力。更に少し遠くからこの橋を見ていただくと、橋の美しさをご理解いただけるのではないでしょうか。
観光地に近い割にはその存在をわすれられがちな隅田川の名橋。なお墨田区側の橋の袂には、関東大震災で犠牲になった人たちを弔う地蔵尊も安置されているので、対岸に渡った際にはそちらにも手を合わせていただきたいものです。
]]>
東京迎賓館赤坂離宮
http://farwestto.exblog.jp/241936861/
2023-09-30T08:30:00+09:00
2023-09-30T08:30:04+09:00
2023-09-30T05:10:14+09:00
tokyo-farwest-net
■東京・23区
◆迎賓館赤坂離宮、東宮御所 ◎設計:片山東熊(宮内省)
◎施工:直営
◎竣工:明治42(1909)年
◎構造:鉄骨補強煉瓦石造2階建て、地下1階
◎所在地:東京都港区赤坂2-1-1
❖国宝
コロナ以降は出不精に拍車がかかっている私ですが、以前は休みの日のたびに都内やその近郊の町へ頻繁に出かけており、未発表の写真がそれなりに保存してあります。その中から今回紹介させていただくのが、東京港区の赤坂迎賓館(旧東宮御所)です。赤坂の迎賓館は数年前から一般公開が開始になっていますが、それより間もなく時期(2016年、2017年)に撮影したのが、今回発表させていただく写真です。
明治の中ごろ、当時皇太子だった明宮嘉仁親王(のちの大正天皇、1879~1926)の住まい(東宮御所)の建設が持ち上がり、約10年の歳月をかけて造られたのが現在の迎賓館(赤坂離宮)だったのです。数ある明治期竣工の洋風建築の中で、規模・デザインともトップクラスの建築作品と言えるでしょう。平成21(2009)年には東京都内の建造物では、東村山市野口町の正福寺千体地蔵堂に次いで国宝に指定されました。
イギリスのバッキンガム宮殿、フランスのベルサイユ宮殿を模したとも言われる、赤坂迎賓館。その設計は宮内省直属の建築家:片山東熊(1857~1917)が担当しています。片山は工部大学校では日本近代建築界の父とも言える、イギリス人建築家:ジョサイア・コンドル(1852~1920)の下で学び、卒業後は辰野金吾(1854~1919)、妻木頼黄(1854~1916)と並ぶ国内建築界の重鎮として活躍していきます。
片山東熊が設計を手掛けた旧東宮御所は、ヨーロッパの宮殿を模したようなとても美しく完成度の高い作品。所々の細部装飾に和のテイストを感じさせる意匠が見られるのもこの作品のもう一つの見所でしょう。
建物内は朝日の間をはじめ、豪華な調度品で纏められていますが、残念ながらそちらは撮影禁止。入館料1000円も納得の国内最高峰の建築作品だと思います。
]]>
ベルーナドーム(西武ライオンズ球場、西武ドーム)
http://farwestto.exblog.jp/241577249/
2022-09-10T11:10:00+09:00
2022-09-21T21:19:11+09:00
2022-09-10T01:31:31+09:00
tokyo-farwest-net
■埼玉・所沢
◆ベルーナドーム(旧西武ライオンズ球場・西武ドーム)
◎設計:池原義郎
◎改修設計:鹿島建設建築設計本部・関東支店設計部(主任:岡村耕治)
◎施工:清水建設(第一期スタンド工事)
:鹿島建設(第二期ドーム化工事)
:鹿島建設(ダグアウトテラス、フィールドシート設置工事)
:鹿島建設(スタンド及びスコアボードの改修、周辺施設の増築・改修)
◎竣工:昭和54(1979)年3月(スタンド部分)
:平成11(1999)年3月(ドーム化工事)
:平成21(2009)年3月(ダグアウトテラス、フィールドシート)
:令和3(2021)年3月 (スタンド及びスコアボードの改修、周辺施設の増築・改修)
◎構造:鉄筋コンクリート及び鉄骨コンクリート造
◎所在地:埼玉県所沢市上山口2135
今年のプロ野球も終盤戦に入りました。特にパリーグは首位から3位までのチームが、ゲーム差0の状態で並ぶ大混戦になっています(令和4年:2022年9月9日段階)。但し球場の観客動員数は、史上最高と言われたコロナ騒動前の令和元(2019)年には遠く及ばない状態で、多くの球団が球場に人を呼び戻すことに苦心しているようです。
特に我が地元の球団である埼玉西武ライオンズは、コロナ騒動前の2019年と比較すると、1試合平均して約9600人(38パーセント)のダウンと深刻な状況です。ここ十数年、地元密着をテーマに掲げ、埼玉県内の各地方自治体とタイアップするなどの積極的なキャンペーンを展開し、西武球団が誕生した1979年から所沢で初連覇を達成した1983年までや、1980年代後半から1990年代前半のチーム黄金期(最強期)を凌ぐ観客動員数を記録していました。しかしながらこれまでの埼玉各地から「団体さん」を来場させる手法が、コロナ渦で実行しにくい今のご時世も、観客動員の大幅ダウンに繋がっているようです。また西武球団がおこなっている「観客数のより現実に近い実数発表」も、数字の大幅減という結果に表れていると私は推測しています。
ですが西武ライオンズの本拠地・ベルーナドーム(旧西武ライオンズ球場~西武ドーム、2017年から2021年まではメットライフドームという名称)は、コロナウイルス騒動の最中である令和3(2021)年3月に3年に渡る大改修工事を終え、とても魅力的な施設へと生まれ変わりました。
球場本体をはじめ、入場施設の新設、周辺のショップや遊戯施設の増設、サブグランドへのスタンド新築や屋内練習場・選手寮の新築などかなりの施設が一変しています。更に外周通路には西武鉄道で以前走っていた通勤電車(新101系、昭和55年製造)まで置かれています。全ては紹介しきれないこともあり、今回は球場の写真をいくつか掲載いたしました。2012年、2018年に拙ブログで発表した記事と比較していただくのも面白いかもしれません。
本年(令和4年)から埼玉県上尾市に本社を置く通販会社・ベルーナの名が冠された、西武ドーム。昭和54(1979)年に建築家・池原義郎(1928~2017)氏の設計により、西武ライオンズ球場として竣工。更に平成11(1999)年には約1年半の工期を経て、既存のスタンドにドーム屋根を架設するというドーム工事を竣工させ、更に平成21(2009)年にはフィールドシートの新設や一部スタンドの大幅な改修を実施しています。なお数年前には3塁側スタンド最上段にグループ席も新設されています。
そして今回の改修で、1979年の球場開設時に設置されたアメリカンシーティング社製の座席の取り換え(見た目はかなり朽ちていましたが、背もたれの深い椅子はとても座りやすいものでした)、天然芝や人工芝だった外野席への座席設置、横長のデザインが印象的だったスコアボードの大型化、大型防球ネットの設置などがおこなわれました。更にバックネット裏の旧関係者エリアにはプレミアムシートとラウンジの設置、移動用のエスカレーターも新設されています。ラグジュアリーな最高級の椅子が置かれたエリアから、ソファーの座席、ベンチ上、ブルペン前のかぶりつき席、外周通路に設置されたステンレスカウンター付きのリーズナブルな立見席など、かなりバラエティーに富んだものとなりました。
また一般席は弾力性のあるクッション付きの座席を採用、今回初めて設置された外野の個別席は肘掛けはないものの、一般席と同様にクッションが付いたもので、自チームの攻撃時に立って応援したい人のために、座席間隔が幅広く設定されるなど普通に観戦する分にもお勧めのエリアです。既存の内野席はほぼ昔のままなので、グレードアップした座席で以前のような環境で観戦が楽しめます。
また内野・外野の一般席にはこれまでの黄緑色、通常の緑色、深緑色の3色を使用したグラデーションシートを採用。このグラデーションシートはアメリカ・NFL(アメリカンフットボール)のニューヨーク・ジェッツとニューヨーク・ジャイアンツの本拠地:メットライフスタジアム、東京の新国立競技場(設計:隈研吾)にも採用されており、これから流行りそうなスタジアムの演出だと思います。
チケット価格が少し高いというのが個人的な感想ですが、暑さ対策がされていない以外は、ほぼ満足できる内容だと思います。
そしてこの球場、最大の問題点は暑さ対策でしょう。球場内には計6台の大型扇風機が設置されていますが、完全に焼け石に水の状態。ここ2年おこなわれたコロナ渦の入場者制限で再確認しましたが、周辺には大型貯水池(多摩湖、狭山湖)や狭山丘陵の緑地帯があることもあり、真夏でも試合開始から1時間ほど(日没直後)で周辺から涼しい風が入ってきます。要はお客さんの人熱が、球場を灼熱の世界にしてしまっている訳です。スタンド下から上昇気流を作る送風装置を作るなどのアイディアを素人は観戦しながら考えていますが、その辺りは改修を手掛けた鹿島建設の皆さんによるアイディアに期待したいと思います。
昨年は1979年以来、実に42年ぶりの最下位に沈んだ西武ライオンズ。今シーズンはこの球場で10月下旬までライオンズの試合を観戦できることを祈りつつ、本日の解説を終わらせていただきます。ここからは過去3年に渡って撮影した西武ドーム(ベルナドーム)の写真をお楽しみください。
]]>
東京地下鉄博物館の東京地下鉄道1000系
http://farwestto.exblog.jp/241308322/
2021-12-18T10:18:00+09:00
2021-12-18T10:00:02+09:00
2021-12-18T08:55:27+09:00
tokyo-farwest-net
◆鉄道車両・工業デザイン
◆東京地下鉄道1000系 ◎設計:東京地下鉄道、日本車両製造
◎製造:日本車両製造
◎完成:昭和2(1927)年
◎構造:鋼鉄製
◎所在地:東京都江戸川区東葛西6-3-1・地下鉄博物館内
❖国指定重要文化財
記憶が正しければ今から5年前に訪れたのが、東京メトロ東西線の葛西駅高架下に建つ地下鉄博物館です。
この年に館内に展示されている旧東京地下鉄道1000系がこの年に国の重要文化財に指定されるとのことで、東京メトロの有楽町線と東西線を乗り継つぎ見に行ったと思います。
少しオレンジがかった黄色いこの電車は、日本初の地下鉄道である東京地下鉄道の浅草~上野間開業(昭和2年:1927年)に伴い、同時期に日本車両製造で作られたもので、昭和40年代前半まで東京地下鉄道の後身にあたる営団地下鉄(現在の東京メトロ)で走っていたと言います。
車体は地下内を走行するという事で、鋼鉄製を採用。外観はごつい感じがしますが、鮮やかな黄色いペィンティングの車両の重苦しさをカバーしています。この色と車両の角張ったデザインはそれから80年後に製造された、東京メトロ1000系にも引き継がれた訳です。
また当時の東京地下鉄道は、モダンなポスターやはー奇抜な駅舎を建設する事で、乗客増加を狙うなど積極的なキャンペーンを展開した訳です。モボ・モガが闊歩した当時の東京を想像してしまう、とても素敵な電車でした。
地下鉄の発祥の地である浅草駅には、このようなポスターも掲示されていた。
]]>
埼玉県さいたま市鉄道博物館のEF55型電気機関車
http://farwestto.exblog.jp/241300871/
2021-12-10T13:10:00+09:00
2021-12-10T13:36:17+09:00
2021-12-10T11:01:18+09:00
tokyo-farwest-net
◆鉄道車両・工業デザイン
◆EF55型電気機関車 ◎基本設計:鉄道省
◎車体製造:日立製作所
◎運用開始:昭和11(1936)年
◎運用修了:平成21(2009)年
◎車体構造:鋼鉄製
◎保存場所:埼玉県さいたま市大宮区大成町3-47・鉄道博物館内
今から6年前の平成27(2015)年に訪れた埼玉県大宮の鉄道博物館。地元プロ野球チームの本拠地球場以外は人混みのある場所には滅多に出かけませんが、この日はこの年に同博物館で公開が始まった鉄道車両を見に、電車を何度も乗り換えて鉄道博物館を訪ねた次第です。
その鉄道車両とは日本国有鉄道(現JR東日本)が所有していたEF55型電気機関車です。カバのような独特のフォルムのこの電気機関車は、昭和11(1936)年に国鉄の前身の鉄道省により設計され、日立製作所、日本車両製造・富士電機、川崎車両で製造され、戦前は東海道本線の特急電車の牽引、戦後は高崎などで運用されていたそうです。
この電気機関車の最大の特徴といえば、流線型のこのフォルム。空気抵抗を削減させ走行速度を向上させるために考案されたものだそうで、当時の鉄道車両には幾つか流線型の車両が製造されたといいます。但しこのEF55型、流線型の割りには走行速度の向上に繋がらないなどの欠点もあったそうで、3両のみの製造で終わってしまいました。
しかしそれまで武骨だった鉄道車両のデザインに、美しさを追求したという点では歴史的な価値があると思います。この時代の建築文化を研究している者にとっては、昭和初期のモダニズム文化を満喫できた素敵な鉄道車両でした。
背面は流線形とは一転し切妻型の造形となっている。
]]>
東京都中央区の日本橋
http://farwestto.exblog.jp/241198763/
2021-09-17T09:17:00+09:00
2021-09-17T08:48:24+09:00
2021-09-17T07:19:18+09:00
tokyo-farwest-net
■東京・23区
◆東京日本橋 ◎橋梁設計:米元普一、樺島正義
◎意匠設計:妻木頼黄
◎施工:不詳
◎竣工:明治44(1911)年
◎構造:石造
◎所在地:東京都中央区日本橋一丁目・日本橋室町一丁目間
❖国指定重要文化財
今月は別ブログで東京都中央区日本橋室町と日本橋に建つ、日本橋三越本店(設計:横河工務所、昭和2年築)、日本橋野村ビルディング(設計:安井武雄、昭和5年築)を紹介させていただきました。この他に日本橋には日本銀行本店(設計:辰野金吾、明治29年築)、三井本館(設計:トロウブリッジ&リビングストン社、昭和4年築)、高島屋東京店(設計:高橋貞太郎、昭和8年築)などの国の重要文化財に指定されている歴史的建造物が現存しています。
そして日本橋にはもう一つ、国の重要文化財に指定されている歴史的建造物があります。それが日本橋の橋梁。この真上を走る首都高速の陰に隠れているような感が強いですが、明治44(1911)年に架設された築110年の歴史ある構造物です。しかもその間に修繕を重ねながら、関東大震災や戦災などを乗り越え、現役の橋梁として使われてるのは驚きであります。
明治44年に竣工した現在の日本橋、帝都・東京を象徴するような重厚な造りとなりました。橋梁本体の設計は東京市技師の米元普一と樺島正義、橋梁の意匠は明治建築界の大家である妻木頼黄(1859~1916)が担当しています。妻木頼黄と言えば旧横浜正金銀行本店(明治37年築)が代表作として知られていますが、この日本橋も石を巧みに使いこなした明治期の秀でた建築作品だと思います。
首都高の下に架かっているという立地もあって、撮影には難しくいつも撮影もせず通り過ぎてしまう日本橋。今回は今から12年前の平成21(2009)年に撮影した写真をご覧ください。いつも川面からも撮影したいと思わせてくれる優れた意匠の橋梁です。
]]>
西武鉄道40000系、S‐TRAIN
http://farwestto.exblog.jp/240327292/
2020-05-16T06:16:00+09:00
2020-05-20T18:10:22+09:00
2020-05-16T02:57:23+09:00
tokyo-farwest-net
◆鉄道車両・工業デザイン
◆西武鉄道4000系、S‐TRAIN
◎基本設計:西武鉄道、川崎重工業
◎車体製造:川崎重工業
◎製造開始:平成28(2016)年
◎運用開始:平成29(2017)年3月~
◎車体構造:合金アルミ製
例年今頃は、春の建築探訪遠征(厳密にいえば夫婦旅行)、地元プロ野球チームの野球観戦、秩父の芝桜見物をはじめとした花見をしているのですが、皆さんと同様休日は自宅で過ごす日々を続けております。しかし自宅と職場がJR線で僅か一駅の区間、歩いても45分で行けることもあり、行動範囲はこの2ヶ月ほど極端に狭まっています。
そして今頃の季節、頻繁に利用しているのが西武鉄道です。今は西武線から若干離れた場所に転居しましたが、この沿線で長年暮らしていた事もあり親しみのある鉄道会社です。昨年はこの年(2019年)春にデビューした新型特急Laview乗りたさに、メットライフドームへ野球観戦に行くときはLaviewで運行されるスタジアム・エクスプレスを頻繁に利用していました。そして野球観戦ナイター時の帰りの楽しみが、S‐TRAINで運行される急行電車で帰る事でした。今年春のダイヤ改正で野球開催時の帰り、この電車が運用されるかは微妙のようですが、ちょっとした贅沢を味わえたものです。
このS‐TRAIN、平日は東京メトロ有楽町線と西武池袋線、土日祝日は横浜の元町・中華街をスタートにみなとみらい線、東急東横線、東京メトロ副都心線、西武池袋線を結ぶ有料座席指定電車として平成29(2017)年から運用が始まり、平成30(2018)年には西武新宿線・拝島線で夜間運行される〔拝島ライナー〕の車両としても使われています。S‐TRAINの特徴としてはデュアルシートと呼ばれる座席転換方式で、ロングシートとクロスシートどちらにでも使用できるという仕様になっている事でしょう。更に長距離運用を想定し一部車両には豪華な作りのトイレ、電源プラグなどが付いているというサービス満点の電車です。椅子もLaviewに比べるとさすがに劣りますが、拷問されているような固い椅子で結構なお値段を取る東武鉄道のTJライナー、椅子も固く窮屈さを感じさせるJR東日本の普通電車のグリーン車を考えるとクオリティーはかなり高いと思います。
座席指定の有料電車、当初の話題性を考えると池袋線系列の利用者の数はイマイチのようですが、武蔵野台地に走る近未来的な通勤電車はとても格好よく、機会があればまた乗りたいと思わせる車両であります。
]]>
横浜マリンタワー
http://farwestto.exblog.jp/240249310/
2020-04-17T09:17:00+09:00
2020-04-17T10:03:50+09:00
2020-04-17T07:30:33+09:00
tokyo-farwest-net
■横浜・関内
◆横浜マリンタワー ◎基本設計:清水建設
◎改築設計:日建設計
◎施工:清水建設、石川島播磨重工業
◎竣工:昭和36(1961)年1月
◎構造:鉄骨造(タワー部分)、鉄筋コンクリート造4階建て(低層部分)
◎所在地:横浜市中区山下町15
横浜を代表する建造物は色々とありますが、このマリンタワーも間違いなくその一つに入るでしょう。昭和36(1961)年に灯台を兼ねた展望塔として開業したこの施設、紅白のペインティングで親しまれていました。低層部分の円形ビルの最上階には鳥籠が設けられ、世界の鳥が飼われたり、色々なショップが入居するなど十数年前までかなりゴチャゴチャした施設だったと思います。
しかし平成19(2007)年に所有者が横浜市となり、それから間もなくに大規模改修を実施。シャープでスマートなタワーへと変貌を遂げました。最上階の展望塔も高さは近隣のビルとさほど変わりませんが、眼下の山下公園と山手方面の眺めは絶品です。今回は3年前の真夏に撮影した写真を中心に記事を進行していますが、この日は山手から根岸・遠く三浦半島まで見渡せる最高のシチュエーシでした。
現在長期の改修工事がおこなわれていますが、再開したらまた訪れたい素敵な施設です。
改修前に展示されていたのが、横浜発祥のロックバンド:クレイジーケンバンドのライブセット。
ここ数年は屋上階へ上るエレベーターに乗ると、BGMにクレイジーケンバンドの曲が流れるという楽しい演出がされていた。
クレイジーケンバンドに続き、館内のモザイクタイルは山下清のデザインによるもの。
マリンタワーの近隣に建つ歴史的建造物、文化遺産と言えばこの2軒。
近い日に3軒まとめて見学できる日が来ることを祈るのみである。
]]>
金沢尾張町文化館、旧金沢貯蓄銀行本店
http://farwestto.exblog.jp/239931120/
2020-01-04T07:04:00+09:00
2020-01-04T06:59:53+09:00
2020-01-04T05:49:43+09:00
tokyo-farwest-net
■金沢
◆旧金沢貯蓄銀行本店
◎設計:長岡平三
◎施工:不詳
◎竣工:明治40(1907)年
◎構造:塗篭土蔵造り平屋、一部地下
◎所在地:石川県金沢市尾張町11-8
❖石川県有形文化財
金沢は石川四高記念文化交流館(設計:山口半六、旧第四高等中学校、明治24年築)などの明治の王道も言える煉瓦建築、石川県政しいのき迎賓館(設計:矢橋賢吉、旧石川県庁本館、大正13年)をはじめとしたセセッション風の大正モダン建築、北國銀行武蔵ヶ辻支店(設計:村野藤吾、旧加能合同銀行本店、昭和7年築)、金沢市西町教育研修館(設計:谷口吉郎、昭和27年築)などの昭和モダニズムと、優れた近代建築が数多く現存しています。
その中でも私が興味を抱いたのが、町中に建つ数々の漆喰塗りの土蔵商家の数々でした。江戸風の黒漆喰、関西風の白漆喰など様々なタイプのものが建っていますが、いばんユニークだったのが尾張町の文化館でしょう。明治40(1907)年に金沢貯蓄銀行本店として建てられたものです。外観は黒漆喰外壁に瓦屋根には鯱など、関東というより西日本的な和風商家の要素を多くデザインに用いていますが、基礎部分は洋風な石張りがされ、洋風の開きドアなど明治ならではの和洋折衷の雰囲気が漂います。
更に建物内はルネサンスを基調とした木調の店内になっており、重厚な外観からは想像がつかない華麗な空間が広がっています。また竣工した時期が20世紀初頭だったこともあり、一部の店内装飾にはアールヌーヴォーの雰囲気も漂います。また昭和50年代までこの建物は現役の銀行店舗として使われていたそうで、戦後ならではの機能性重視の比較的新しい金庫も残されています。店内に関しては洋風・和風を超越し、この建物の施工を手掛けた棟梁の技術の高さに感心させられます。
尾張町の文化館、公開される日時が限定されているそうでが、内部を見学できたというのはとても幸運でした。また金沢へ訪れるチャンスがあれば、再訪したい素敵な建築作品でした。
]]>
金沢市長町の金沢聖霊修道院聖堂
http://farwestto.exblog.jp/239927731/
2020-01-03T06:04:00+09:00
2020-01-04T06:59:22+09:00
2020-01-03T05:04:47+09:00
tokyo-farwest-net
■金沢
◆金沢聖霊修道院聖堂
◎設計:マックス・ヒンデル(Max Hinder)
◎施工:岩永伊勢松
◎竣工:昭和6(1931)年
◎構造:木造平屋
◎所在地:石川県金沢市長町1丁目5番20号
❖金沢市指定有形文化財
昨年4月の金沢・高岡旅行の2日目。寒風吹き荒れる高岡での見学を早めに切り上げ、残された時間を少しだけ風がおとなしい金沢で散策することにしました。コースは武家屋敷跡と呼ばれるエリア、大野庄用水の近辺です。そうして用水沿いを歩いていると、出くわしたのが金沢聖霊総合病院。「聖霊」という名はカトリック系の施設や学校によく使われるもので、私の母親も秋田にあるカトリック系列の同名の女学校に通っていましたので、この病院がカトリック系のものだと認識した訳です。
そして病院の後方には、可愛らしい塔屋の付いた教会が建っていました。帰郷後調べてみると昭和6(1931)年に竣工したもので、当時日本国内で活動していたスイス人建築家マックス・ヒンデル(Max Hinder、1887~1963)が設計を手掛けたとのことです。木造下見板張りでロマネスク調を基調としてますが、昭和初めのモダンな要素が所どころから感じられるのも金沢聖霊修道院聖堂の特色と言えるでしょう。
訪問した時は改修工事の真っただ中でしたが、今頃綺麗な教会となって新年を迎えている事でしょう。旅行前この教会のことをチェックし忘れていましたが、予想していなかった素敵な教会との出会いに旅の感動が更に増したのは言うまでもありません。
]]>
金沢市の犀川大橋
http://farwestto.exblog.jp/239866955/
2019-12-14T08:14:00+09:00
2019-12-14T07:32:38+09:00
2019-12-14T06:38:13+09:00
tokyo-farwest-net
■金沢
◆犀川大橋
◎設計:関場茂樹(日本橋梁株式会社)
◎施工:日本橋梁株式会社(大阪)
◎竣工:大正13(1924)年
◎構造:一経間鋼曲弦ワーレントラス橋
◎所在地:石川県金沢市片町~金沢市野町・千日町
❖国登録有形文化財
金沢旅行の最終日。富山県の高岡市を訪問後、金沢に戻り日没まで美しい図書館が建つ玉川公園から長町の武家屋敷跡を歩きます。風情ある武家屋敷の町並みもそうでしたが、それよりも驚いたのが勢いよく流れる大野庄用水の流れでした。江戸に匹敵する前田藩時代に造成された上水技術には感心しまくりのこの時の旅でした。
そして大野庄用水の源流にである犀川に辿り着き、武蔵ヶ辻方面に戻るさい渡ったのが犀川大橋でした。何ともクラシカルなデザインの鋼鉄製のワーレントラス橋。犀川大橋は前田藩時代に架設、その時代ごとに様々な橋梁が使われていましたが、大正11(1922)年の豪雨で先代の橋が流されてしまい、大正13(1924)年に架け替えられたのがこの橋でした。
町の主要地帯を繋ぐ橋という事で、このような頑丈な橋が架けられた訳ですが、軍都だった当時の金沢のイデオロギーをも感じられてしまいます。橋の設計は当時の橋梁設計の第一人者だった関場茂樹(1876~1942)1942と、日本橋梁が担当しています。この後、日本国内にはシンプルな構造のモダンなデザインの橋が続々と登場しますが、そのような前時代の美を堪能できるのがこの橋ではないかと私は考えます。
]]>
金沢市尾張町の石黒ビル
http://farwestto.exblog.jp/239788772/
2019-11-22T09:22:00+09:00
2019-11-22T08:47:45+09:00
2019-11-22T07:25:00+09:00
tokyo-farwest-net
■金沢
◆旧石黒ファーマシー本社
◎設計:武田五一
◎施工:清水組
◎竣工:大正15(1926)年
◎構造:鉄筋コンクリート造3階建て
◎所在地:石川県金沢市尾張町1-10-5
まだまだ終わる気配のない、今年4月に訪れた金沢の建築探訪記。
金沢城やひがし茶屋街にほど近い尾張町に建つ、レトロなビルディングは、江戸期創業の石黒薬局の本社ビルとして大正15(1926)年に竣工したものだそうです。設計は東京帝国大学出身で、長年京都帝国大学の建築学科で教授を務め、関西を中心に活躍していた建築家の武田五一(1872~1938)が設計を手掛けたと言われています。武田は助教授として東京帝大在籍中にヨーロッパに留学し、そのときアールヌーヴォーなど最新デザインの勃興に遭遇、それを機に自身の作品に最新のモダンデザインを色々と採用してきました。
尾張町百万石通りに建つ石黒ビルは、この時代ならではのルネサンススタイルを基調としたデザインで纏められています。しかしドイツ表現主義風の半円型にデザインされた階段室の小窓、現在はベージュの塗装が施されていますがスパニッシュ風デザインの軒下の装飾など、この時代ならではの最先端のモダンデザインがさりげなく用いられているのが、この作品の見所と言えるでしょう。
なおこのビルの左隣には、石黒薬局の江戸後期に竣工した土蔵造りの店舗が建っています。金沢では十間町の中島商店(設計:村野藤吾、昭和7年築)をはじめ、明治期創業の老舗商店が後年になり既存店舗の脇に新たなビルを増築させる手法が数多く用いられていたと想像されます。これまで使っていた店舗を壊さず、新たな店舗を建てるという手法は現在の視点から見ると、とても賞賛すべき判断だったのではないかと思います。
しかし大正末に建てられた本社ビルは、ここ数年、空き家の状態が続いているとのこと。何とか有効活用して頂きたい、美しい建築作品であります。
大正15年竣工の本社ビルの左隣には、江戸末期にに竣工した石黒薬局の店舗が建つ。
]]>
金沢市出羽町の石川県立美術館広坂別館
http://farwestto.exblog.jp/239689879/
2019-10-25T06:25:00+09:00
2019-10-25T06:28:26+09:00
2019-10-25T05:24:03+09:00
tokyo-farwest-net
■金沢
◆旧陸軍第九師団長官舎(石川県立美術館広坂別館)
◎設計:陸軍省?
◎施工:不詳
◎竣工:大正11(1922)年
◎構造:木造平屋
◎所在地:石川県金沢市出羽町1-1
❖国登録有形文化財
今年4月の金沢旅行で、旧石川県庁舎(大正13年築、現石川県政記念しいのき迎賓館)、兼六園を巡ったあとに訪ねたのが出羽町の石川県立美術館がある本多の森公園のエリアでした。兼六園や金沢城に比べると観光客の数はぐっと減り、のんびりとした金沢散策を楽しむことが出来ました。
その本多の森の片隅にあったのが一軒の洋館。一見すると明治半ばに建てられたものと思いましたが、後で調べてみると陸軍第九師団長官の官舎として大正11(1922)年に建てられたものだと言います。現在はその痕跡は殆ど無くなりましたが、廃藩置県となった明治から終戦まで金沢城をはじめとした加賀藩関連の土地には陸軍第九師団が置かれており、その頃を物語る数少ない遺構がこの洋館だと言います。
外観は梁の木骨を露出させたハーフティンバー・スタイル。ハーフティンバーを採用した洋館というと、軽快なイメージの作品が多いのですが、金沢の陸軍第九師団長官はとても重厚で威圧的な印象を受けます。軍関連の施設という事で、敢えて重厚なデザインにしたのでしょうか。なお創建当時は和風家屋も併設されていたといいます。
それから時は経ち現在では文化財の保存修復工房として一般公開され、金沢の文化伝承の場として再生活用されています。見た目はいかつい洋館でしたが、綺麗に修復がおこなわれ建物の歴史と美しさをじっくりと堪能することが出来ました。
]]>
金沢市尾張町の金沢文芸館
http://farwestto.exblog.jp/239665325/
2019-10-18T06:18:00+09:00
2019-10-18T05:48:33+09:00
2019-10-18T04:39:04+09:00
tokyo-farwest-net
■金沢
◆金沢文芸館(旧高岡銀行船場支店~石川銀行船場支店)
◎設計:清水組
◎施工:清水組
◎竣工:昭和4(1929)年
◎構造:鉄筋コンクリート造3階建て
◎所在地:石川県金沢市尾張町1-7-10
❖国登録有形文化財
金沢尾張町の船場町交差点の角地に建つ、クラシカルな雰囲気漂うビルディング。現在この建物は金沢ゆかりの小説家・五木寛之の資料をてな字する文芸館として使われていますが、昭和4(1929)年に高岡銀行の支店として建てられたものと言います。高岡銀行はその名の通り石川県のお隣高岡市に創業した地方銀行で、大正9(1920)年に高岡共立銀行と合併し富山を代表する大手銀行となりました。
戦後は石川銀行の店舗として使われていましたが、平成13(2001)年に同銀行が破綻しこの支店が閉店になったのを機に文芸館として使われるようになったそうです。
この建物の設計は老舗ゼネコンである清水組(現在の清水建設)が担当。これは個人的な推測ですが、高岡銀行と合併した高岡共立銀行が創設・経営に際し渋沢栄一(1840~1931)にアドバイスを伺いに行き、本店建設に際しても渋沢と縁の深い清水組が建設を手掛けたことを考えると、金沢の船場支店もそのような流れで建設されたのではないかと考えられます。
ちなみに高岡銀行の船場支店、銀行建築の定番である古典主義の外観ですが、そこまで重厚ではなく少しライトな仕上がりになっているのもこの作品の見所の一つでしょう。建物背後に辰巳用水の分水・九人橋川が流れ、道路の関係もあってか平たい造形なっていますが、ひがし茶屋街からの町の景観を彩るアイストップ的な役割を果たす美しい建築作品であります。欲を言えば建物内に銀行時代の面影をもう少し残して欲しかったものです。
[#PARTS|USER|119794#]
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/