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ホテル・ラビスタ函館ベイ

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◆ラビスタ函館ベイ
 ◎設計:大成建設一級建築士事務所
       ☆内装・・・・高橋洋介、徳野博子
       ☆建築・・・・町井充、桜井啓三、高橋秀明
 ◎施工:大成建設札幌支店
 ◎竣工:平成20(2008)年4月
 ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造13階建て
 ◎所在地:函館市豊川町12-6


今年3月の函館旅行はオフピークの期間で料金が安かったこともあり、今まで泊まったことがない豊川町のラビスタ函館ベイを利用しました。ラビスタは平成20(2008)年のオープン以来、屋上の露天浴場や豪華朝食バイキングなどで話題を提供した、函館の新名所であります。
ちなみにこのホテル、安田倉庫の跡地に建設されたものです。またこの倉庫、解体直前は外壁が大きく改修されていましたが、明治初期に開拓使が食料の備蓄庫として建てられたものでした。また明治10年代に、安田財閥の創業者である安田善次郎がこの倉庫を買い取り、それから一世紀以上に渡り倉庫として使われることになりました 。またホテル建設計画が発表された当初は、一世紀以上の歴史を誇る倉庫が解体されることと、ベイエリアなど函館の都市景観形成地域に隣接するこの土地に高層建築を建設することにより、今までの素晴らしい景観が損なわれるのではないか等、様々な議論を起こしながらホテルはオープンへ至りました。
なおホテル建設に際し、以前に建っていた倉庫の外壁から見つかった煉瓦は1階にファザード保存されました。ちなみにこの煉瓦、現在で言うところの北斗市(上磯)の茂辺地にある開拓使の煉瓦工場で焼かれたもので、[明治●年 函館製造]と刻印が記された煉瓦も幾つか使用されています。なお同時期にこの工場で焼かれた煉瓦は、元町公園の開拓使函館支庁書庫末広町・旧金森洋物店裏の煉瓦擁壁などに見つけることが出来ます。このような外壁保存の建造物と同様、高層階にあたる新築部分と違和感が生じているのが素直な感想ですが、ホテル内には旧倉庫の展示コーナーを設置するなど、これまでの歴史を大切にしようとする姿勢は評価するべき点だと思います。

但しベイエリアの中心地であるこの場所に建てられた高層建築は、元町の坂上などに上るとやたらと目に付きます。例としてハリストス正教会の敷地から元町カトリック教会を撮影した写真など数点を掲載しましたが、このホテル出現前の風景を知る私にとっては、なかなか馴染めない存在でもあります。しかしホテルの部屋から見る函館の町並みは絶景そのもの、景観を遮断しただけの価値があるものだと思います。レトロ調の室内やインテリアも、函館のイメージを損なわない素敵な演出だと思います。
大規模ホテルだけあり、朝食・フロントなど人が多く落ち着かない感じもしましたが、機会があればまた泊まりたいと思える施設でした。

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by tokyo-farwest-net | 2016-04-23 10:23 | ■函館

函館古建築見学ミニツアー(試作版)

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★旧丸井今井呉服店(末広町4-19、大正12年築)

戦前における函館商業の象徴ともいえる建物。
函館ゆかりの請負師:木田保造により設計・施工がおこなわれた。また道内初の鉄筋コンクリート製デパート建築でもあった。
昭和5年に5階建てに増築されたが、耐震性の理由により近年3階建てに縮小され、竣工当時のドームが復元された。
なお山側にあるエレベーターの付いた5階建ての塔屋は、昭和5年の増築のさい設置されたもの。

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❖参考資料:1920年代の末広町界隈・・・・・筆者所蔵絵葉書より
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★大二物産、旧金森三星堂(末広町10、明治26年築)

明治12年の大火後、開拓使の奨励により建てられた煉瓦製耐火建築の一つ。
三代目・渡辺熊四郎経営の金森三星堂として建てられたが、昭和9年の大火で建物が損傷したのを機に現在の外観に改修されている。
また左にある白いビルは、金森経営の一二堂書店として大正10年ころ建てられたもの。

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★旧深谷米穀店、現ラコンチャ(末広町14、大正中ごろ築)

2階・洋風下見板張り、1階・和風という函館独自の町屋建築の一つ。
所有者のお話によると建物内の間取りもほぼ当時のままだという。
なお写真奥に見える民家も、明治40年から大正初めに建てられたもので、以前は海産問屋などとして使われていた。

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★函館海産商同業組合事務所(末広町15、大正9年築)

函館海産商同業組合が大正半ばの好景気に乗り、組合員の寄付により建てられた事務所建築。
また当初組合幹部が予想していた額を上回る寄付が集まったため、2階建てから3階建てに規模を拡大し、豪華な調度品を各部屋に置いたというエピソードも残る。
なお設計は、当時不動貯金銀行の営繕係として国内で活躍していた新進気鋭の建築家・関根要太郎(1889~1959)が担当。
当時としてはモダンな作品ということもあり、竣工直後には建築雑誌に完成予想図と設計図が大々的に発表されている。

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★東本願寺函館別院(元町16、大正4年築)

同寺院は十数年に一回のペースで起こる大火のたびに本堂を焼失。また明治40年の大火でもまたもや本堂が焼けたため、当時同寺院の檀家代表だった3代目・渡辺熊四郎(金森合名会社)は、東京に赴き専門家の意見に従い、当時最新の耐火技術だった鉄筋コンクリートにて寺院建立を決断。着工より3年半の歳月を建てられたのが、現在の本堂である。
施工はこののち函館で活躍することになる請負師・木田保造(1885~1940)が担当。外観は京都本院の阿弥陀堂を模したもので、木造建築の意匠をモルタル塗りで忠実に再現した。
なお同寺院の建設を推進した3代目・渡辺熊四郎は、大正10年の大火で寺院が焼けなかったのを機に、その後の復興事業において鉄筋コンクリート建設を更に推進させた人物だった。

※・・・・・坂下からの見学も可
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★旧目貫商店(末広町17、大正10年築)

大正10年4月に起きた大火直後、函館の政財界人は『函館火防委員会』を結成。
同委員会は耐火素材である鉄筋コンクリート建築の普及のため、補助金制度を設置しコンクリート建築施工を推進した。
しかしその補助金だけではコンクリート建築を建てられない施主が続出。当時蓬莱町の映画館『錦輝館』建設のため函館に滞在していた建築家・中村鎮(1890~1933)はそれを知り、自らが開発した廉価で建設可能な鉄筋コンクリートブロック工法を紹介。大正10年から12年にかけて、20数軒のコンクリートブロック式の建物を設計・施工させている。その中で現存する数少ない建物が二十間坂下の旧目貫商店だ。
なお函館銀座通りのコンクリート建築群は、大正10年大火後に防火帯の目的で建設されたもの。

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❖参考資料:1920年代の銀座通り・・・・筆者所蔵絵葉書より
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★旧リューリ商会、現川越電化センター(末広町18、大正11年ころ築)

白系ロシア貿易商・リューリ商会の事務所として使われていた建物。函館で唯一残る外国商館である。
なお書籍では明治40年の竣工という紹介がよくされているが、実際は大正10年大火後に建設されたもの。

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★旧函館無尽本店(末広町18:八幡坂、大正12年築)

八幡坂下にある鉄筋コンクリート製の金融機関の本店。
なおそれ以前、この場所にはデンビー商会の事務所が置かれていた。

※・・・・・・坂下からの見学も可。
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★旧百十三銀行本店、現SEC電算センタービル(末広町18、大正15年築)

函館地場銀行の旧本店。設計は函館海産商同業組合事務所と同じく関根要太郎が担当。
また当時の銀行店舗からは逸脱したモダンな作品で、竣工まもなく建築関連の雑誌に大々的に紹介された。
しかし新店舗の竣工して間もない昭和3年、兼ねてからの金融不況などの影響により、小樽の北海道銀行と吸収合併。この建物が本店として機能したのは僅か一年あまりという短いものだった。

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★旧第一銀行函館支店・現函館市文学館(末広町22、大正10年築)

大正10年に竣工した渋沢栄一創業の第一銀行支店。
なお当時の函館は東京をはじめとした外部資本の進出が少なかったこともあり、函館に現存する数少ない東京資本の銀行店舗の建物だ。
また設計は当時第一銀行の営繕課長を務めていた建築家・西村好時が担当。銀行建築家としては、先に紹介した関根要太郎のライバル的存在の人物で、西欧の古典様式をベースにした銀行店舗を数多く設計した。また斜め向かいに建つ旧百十三銀行本店のモダンデザインと、古典様式の装飾を用いたこの建物を対比して見るのも面白い。

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★金森洋物店、現函館市立郷土資料館(末広町19、明治13年築)

明治12年の大火後、開拓使奨励により建てられた煉瓦耐火建築の代表的作品。
また建物には上磯で製造された煉瓦が使われているが、建物裏駐車場の擁壁にも『明治八年 函館製造』などの刻印が記された煉瓦が残っている。
なお末広町周辺には開拓使奨励により建てられた煉瓦建築が数多くあったというが、木骨構造だったため明治40年の大火で殆どの建物が倒壊。金森洋物店は数少ない明治初期の商店建築の遺構である。

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★旧森屋百貨店(末広町22、大正14年築・昭和5年増築・・・・・現存せず)

金森合名会社が経営する魁文堂が大正13年の火災で焼失したため、その翌年に新たに建てられたデパート建築。なお隣に建つ現在高田印刷・文具店も、デパートと同時期に金森回生堂として竣工したもの。両者の建物とも木田保造が代表を務める木田組が設計・施工を担当している。
また昭和5年には業務拡大に伴い、海側に7階建の新館を増築。外観は当時最先端のモダンデザインを取れ入れ、外壁を黄色に塗るなど、取り壊し寸前の同建物からは想像できない煌びやかなものだった。2001年に旧建物は解体、翌年に旧建物の姿を模したウイニングホテルが建てられた。

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❖参考資料:昭和初期の森屋百貨店・・・・・・筆者所蔵絵葉書より
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★日下部家住宅(末広町20:日和坂、大正7年ころ築)

大正中期、函館や神戸を中心に海運業で成功をおさめた実業家・日下部久太郎の函館邸。
なお日下部は同時期、日和坂下の海岸通りに3階建の万世ビル(現存せず)を建設している。

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★旧岡本邸、現はこだて工芸舎(元町32-5、昭和2年築)

地元海産商・岡本康太郎(函館製網船具・ウロコ)の子供夫婦の邸宅として建てられたもの。
大正末から国内で流行していた『文化住宅』の影響を受けた、モダンな作り。
なお施工は函館ゆかりの請負師・木田保造が担当。設計者については残念ながら判明していない。

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★相馬株式会社(大町9、大正3年築)

函館の豪商・相馬哲平が創立した会社の事務所。
函館では明治期から大正初期にかけて、このような大規模な木造商業建築が多く建てられたが、度重なる大火で焼失してしまったため、この建物は数少ない木造商業建築の遺構といえる。

※・・・・・・坂上からの見学も可。
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★函館市立弥生小学校旧校舎(弥生町4、昭和13年築)

昭和9年大火後に市内に建設された鉄筋コンクリート製小学校校舎の一つ。
関東大震災後に東京で建設された復興小学校(鉄筋コンクリート製校舎)を参考に、山の斜面を巧みに取り入れたプランニングが特徴。
戦前に建てられた鉄筋コンクリート製校舎の最高傑作ともいえる作品。

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★函館中華会館(大町1、明治40年築)

函館華僑の集会施設。なお国内では戦前に建てられた貴重な華僑の施設である。

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★旧ロシア領事館(船見町17、明治41年築)
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by tokyo-farwest-net | 2009-01-11 11:11 | ■函館