カテゴリ:■東京・23区( 67 )

東京都復興記念館、旧防災資料展示場

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◆東京都復興記念館、旧防災資料展示場
  ◎設計:伊東忠太、佐野利器
  ◎施工:不詳
  ◎竣工:昭和6(1931)年
  ◎構造:鉄筋コンクリート造2階建て
  ◎所在地:東京都墨田区横網2-3-25
   ❖東京選定歴史的建造物


先に紹介した東京都慰霊堂が建つ横網公園内にあるのが、この東京都復興記念館。こちらの建物は慰霊堂竣工の翌年に建てられたもので、当初は関東大震災後の復興展示を主におこなっていましたが、慰霊堂が戦災犠牲者を合祀するようになったのに伴い、一部戦災被害の展示もおこなうようになったといいます。
そして復興記念館の設計も建築家・伊東忠太が担当。外観は大正末から国内で流行していたスクラッチタイル張り、また一部の窓枠にはフランク・ロイド・ライト的な幾何学模様のデザインが用いられるなど、この当時のモダン建築のエッセンスを十分に吸収したものになっています。しかし2階の東洋的な屋根瓦とそれを支える軒下の持ち送り、そして正面玄関上の三角形のオーダー上に置かれている動物のモニュメントなどは、いかにも伊東忠太らしい味を醸し出しています。慰霊堂とはまた違う輝きを見せる伊東忠太らしい建築作品と言えるのではないでしょうか。

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by tokyo-farwest-net | 2010-04-02 00:02 | ■東京・23区

東京都慰霊堂、旧震災記念堂

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◆東京都慰霊堂、旧震災記念堂
  ◎設計:伊東忠太、佐野利器
  ◎施工:戸田組
  ◎竣工:昭和5(1930)年
  ◎構造:鉄筋コンクリート造
  ◎所在地:東京都墨田区横網2-3-25
   ❖東京都選定歴史的建造物


JR総武線両国駅北の横網町内に建つのが、今回紹介する東京都慰霊堂です。この建物は昭和5年に大正12年9月に起きた関東大震災の犠牲者の霊を弔う〔震災記念堂〕として建てられたものですが、昭和26年には太平洋戦争の被害者の霊も合弔し、東京都慰霊堂と名称を改称し現在に至っています。
また鉄筋コンクリート造の慰霊堂は寺社建築によく見られる純和風のデザインになっていますが、どことなくそれらの物とはちょっと違った雰囲気が漂います。それもその筈、この慰霊堂は築地本願寺、明治神宮、平安神宮などの設計を手掛けた建築家の伊東忠太(1867~1954)がデザインを手掛けたからです。伊東忠太といえば明治中期に中国やインドの寺院建築の実地調査をおこない、その調査の影響もあったのでしょうか自らの設計作品では東洋趣味の影響が見られるアクの強い設計作品を残しています。この慰霊堂もその中の一つではないかとも思います。慰霊堂の西側に建つ三重塔や建物各所にいる動物のモニュメントなど、建物各所には伊東忠太らしい持ち味が十分に発揮されているので、そちらもじっくり観察していただくとこの建物の摩訶不思議さを更に実感していただけるかも知れません・・・・・。

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by tokyo-farwest-net | 2010-04-01 23:01 | ■東京・23区

東京雑司ヶ谷の旧マッケーレブ邸

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◆マッケーレブ邸(雑司ヶ谷旧宣教師館)
  ◎設計:不詳
  ◎施工:不詳
  ◎竣工:明治40(1907)年
  ◎構造:木造2階建て
  ◎所在地:東京都豊島区雑司ヶ谷1-25-5
   ❖東京都指定文化財


先週末に訪れたのが豊島区雑司ヶ谷にある旧マッケーレプ邸。ここへ訪れるのは本当に久しぶりで、10年振りになるでしょうか。地下鉄副都心線の雑司ヶ谷駅を下車し、池袋周辺に次々と建てられた高層マンションの多さに驚き、ついついそちらの方ばかりに気をとられ歩いた訳ですが、雑司ヶ谷の懐かしい街並みは相変わらず変わっておらず、ちょっと一安心しました。
さてこのマッケーレプ邸ですが、アメリカ出身の宣教師:J・M・マッケーレプの自邸として明治40年に建てられたもので、東京に現存する明治期竣工の木造洋館の一つであります。なおマッケーレプはこの土地に雑司ヶ谷学院を開設、それと同時に建てたのがこの邸宅だったといいます。
またその外観は、マッケーレプの故郷のアメリカにありそうなとても明るい下見板張りのデザインが特徴としてあげられます。あと個人的に明治末に竣工した宣教師館と言うと、〔ホワイトハウス〕の名称で親しまれている遺愛学院宣教師館(明治41年築)を思いだしてしまいますが、函館の宣教師館と比較すると積雪の殆どない東京に建てられたという事もあるのでしょうか、積雪や防寒対策のためどちらかと言うとずっしりした感じに建てられた函館の宣教師館と比較すると、とてもライトな印象を受けてしまいます。同じアメリカ風の下見板建築でも、日本の風土に適応した設計がされているのも面白いものだなと思った今回の訪問でした・・・・・。

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by tokyo-farwest-net | 2010-03-30 20:30 | ■東京・23区

東京千代田区の九段下ビル(旧今川小路共同建築)

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◆九段下ビル(旧今川小路共同建築)
  ◎設計:南省吾、震災復興助成社
  ◎施工:不詳
  ◎竣工:昭和2(1927)年
  ◎構造:鉄筋コンクリート造3階建て
  ◎所在地:東京都千代田区神保町3-4


この古びたビルディングは、地下鉄九段下駅そば日本橋川の畔にあるものです。
現在は九段下ビルと呼ばれていますが、もともとは震災復興助成社の今川小路共同建築として昭和2年に建てられたもの。大正12年の関東大震災後の不燃建築促進のために建てられた、震災復興建築の一つであります。なおこのビルディングの建築主である震災復興社は同ビルの建設に際し、1階と2階部分を店主の店舗兼住宅、また3階部分を貸し部屋にし建設費の負債返済に充てようと計画したそうですが、当初のシナリオ通りには事は進まず多くの負債を抱えたまま解散したとの事です。ちなみに戦前、この建物のような不燃素材の共同建築を建てる事例や計画は幾つかあったようですが、現存する建物などから考えると実現に至るまで難しいプロジェクトだったと推測されます。
またこの九段下ビル、以前は1階部分に万遍なくテナントが入居する活気あふれるビルでしたが、現在ではそのテナントも少しずつ撤退。また外壁には防護用のネットが貼られ、近いうちに解体されるようです・・・・。

❖参考・・・・・・「建築探偵入門」東京建築探偵団著、1986年、文藝春秋社刊
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by tokyo-farwest-net | 2010-03-26 01:26 | ■東京・23区

東京聖路加病院のトイスラー記念館

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◆聖路加病院・トイスラー記念館
  ◎設計:J・V・W・バーガミニ (Jhon van Wie Bergamini)
  ◎施工:清水組
  ◎竣工:昭和8(1933)年
  ◎構造:木造2階建て
  ◎所在地:東京都中央区明石町10


先日、こちらのプログと別プログにて現在解体の危機に瀕している中央区立明石小学校(大正15年築)を紹介させていただきましたが、今回は明石小の隣にある聖路加病院内に建つトイスラー記念館を取り上げたいと思います。
聖路加病院の初代院長・トイスラーの名がつけられたこの記念館は、アントニン・レーモンドの後に聖路加病院の実施設計を引き継いだアメリカ人建築家・バーガミニの設計により建てられたものです。実は今までその存在は知りつつもつい素通りしてしていた建物ですが、今年の元旦に京都を訪れたさいに見たバーガミニ設計作品・平安女学院昭和館(昭和4年築)の質素ながら堅実な美しさに感動し、改めて聖路加病院を訪れた訳です。竣工時期は1933年という事で、そのころ流行していたロマンチィシズムを思わせる優雅な弧を描く屋根の造形を持ちながらも、建物細部のデザインには古典的な装飾が見られるなど、伝統と新しさを融合させた聖路加病院本棟と同様のコンセプトのデザインが施されているというのも今回の訪問で気づきました。
またこの記念館、今から十数年前におこなわれた同病院の大改築工事のさい一度は解体されることになっていたようですが、現在の場所に移築復元され、病院とこの地域の歴史を語る貴重なシンボル的存在となっています。明石小学校の歴史ある校舎も、解体するのではなく残すことでトライスラー記念館のようにこの地域の歴史を語る存在になって欲しいものです・・・・。

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by tokyo-farwest-net | 2010-02-09 21:09 | ■東京・23区

東京都中央区立明石小学校

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◆中央区立明石小学校
  ・・・・・失くしてはいけない町の生きる文化財



この小学校については昨年別プログにて既に取り上げているが、その存在をもっと多くの方に知っていただきたいという願いを込めて、今回は改めて紹介する事にした。
中央区立明石小学校は、東京の築地の隣町・明石にある大正15年竣工の鉄筋コンクリート校舎。いわゆる関東大震災を機に、東京市内に数多く建てられた〔震災復興小学校〕と呼ばれる鉄筋コンクリート製校舎の一つである。そのデザインは優しく、かつ力強い。

また昨年の6月に機会があって校内を見学させていただく好運に恵まれた。
この明石小、鉄筋コンクリート製の建物ではあるが、木の廊下をはじめ校舎内は温もりに溢れていた。ちなみに筆者は東京郊外の新興住宅街に昭和40年代に新築されたコンクリート校舎で小学六年間を過ごしたが、監獄のように冷たく人間味がまるでない無機質な恐怖だらけのあの空間とはまったく違う、この温もりある校舎で小学生の六年間を過ごしてみたかったなともふと思ってしまった。また中央区は校舎保全の為にこまめに修繕予算をつぎ込み、築80年を過ぎた校舎とは思えないほど綺麗な状態に保たれているにも正直驚かされた。恐らくどの世代を問わず、この校舎で学んだ人たちは、心の中に共通の財産を持っているのではないだろうか。贅の限りを尽くした豪華な空間ではないが、心の奥底を癒してくれるような感覚にも襲われた。

しかし昨年、中央区はこの明石小をはじめ、昭和初期に建てられた明正中央(鉄砲洲)の各小学校舎の解体・新築計画を発表。明石小は今年2月に解体に伴うプレハブの仮校舎建設がおこなわれる事になっている。
なお中央区はこれらの小学校舎の解体については、函館の弥生小学校の解体問題と同様スケジュールの大枠が前もって決められ、それを一方的に押し通す形で進められているようだ。ちなみに区側は解体の理由について耐震強度の不足をあげているが、東京都選定歴史的建造物などに指定されている銀座の泰明小日本橋の常盤小は耐震補強の工事を実施し、従来の校舎を解体しない方向で話を進めている。メンテナンス的には、解体予定の小学校と保存される予定の小学校はほぼ同様の状態で、何を根拠にしてこのような線引きをしたのかという点も不明だ。

首都・東京の中心地である中央区にある明石小をはじめとする戦前築の小学校舎、新しいものが全ての答えではないと教えてくれる素晴らしい教材ではないかと思う。
80年以上に渡って大切に使われてきたこれらの町の宝を、急いでこの世から葬る前に、もっときちんとした議論が必要だと思うのだが・・・・・。

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◆なお明石小の解体問題については、明石小学校校舎を守るためにありがとう明石小学校舎☆幼稚園舎をご参照ください。

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◆東京都中央区立明石小学校(旧東京市立明石尋常小学校)
 ◎設計:東京市
 ◎施工:竹田組
 ◎竣工:大正15(1926)年8月28日
 ◎構造:鉄筋コンクリート造り3階建て
 ◎所在地:東京都中央区明石1-15
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by tokyo-farwest-net | 2010-02-06 19:06 | ■東京・23区

講談社旧本館

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◆講談社旧本館(旧大日本雄辯會本社)
  ◎設計:曾禰中條建築事務所(高松政雄)
  ◎施工:大倉土木
  ◎竣工:昭和8(1933)年
  ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
  ◎所在地:東京都文京区音羽2-12-21


文京区の音羽通りと言うと鳩山首相のご実家である旧鳩山邸(鳩山会館)がよく知られますが、もう一つ忘れていけない戦前竣工の名建築が講談社の旧本館です。歴史ある出版社らしい堂々とした佇まいのこの建物、昭和8年に曾禰中條建築事務所の設計により竣工したもの。外観は時代の変遷とともに若干の改修がされているようですが、エントランス部分は当時の面影を残しています。
またこの建物の設計を手掛けた曾禰中條事務所は戦前を代表する大建築事務所の一つでしたが、全体的な設計プランは同事務所のチーフデザイナーの一人であった高松政雄が担当したとのことです。高松は大正中期から昭和初期にかけて活躍した建築家・関根要太郎とも親交があり、個人的には以前から気になる建築家の一人であります。しかし高松担当の曾禰中條事務所設計の建物に殆ど出会っていないので、この講談社は高松担当による貴重な現存作品と言えるのではないでしょうか・・・・・?。

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by tokyo-farwest-net | 2009-12-20 19:31 | ■東京・23区

銀座和光(旧服部時計店)

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◆銀座和光(旧服部時計店)
  ◎設計:渡辺仁
  ◎施工:清水組
  ◎竣工:昭和7(1932)年
  ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
  ◎所在地:東京都中央区銀座4-5-11


銀座和光。銀座四丁目の中央通りと晴海通りの角地に建つこのビルは、銀座の顔とも言うべき存在の建物であります。
和光の前身にあたる服部時計店は明治期より同地にて店舗を構えていましたが、関東大震災を機に新築されたのが現在お馴染みのこの建物です。設計は有楽町お堀端の第一生命横浜山下町のホテルニューグランド、東京国立博物館本館の設計で知られる渡辺仁(1887~1973)が担当しています。この建物は時計店ということで屋上に時計台を置いた設計がされていますが、どこからでも一目で分かる絶妙な配置は見事の一言に尽きるでしょう。なお渡辺仁は旧服部時計店を皮切りに、銀座数寄屋橋の日本劇場(昭和8年竣工)、有楽町の第一生命ビル(昭和13年竣工)など、東京の一等地であるこの界隈の主要建築の設計を手掛け、この時代の建築界のトップ的存在に上り詰めています。それだけの主要建築の設計を任されたというのも、この銀座和光の素晴らしさを見れば頷けるような気がしないでしょうか・・・・。
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服部時計店ということでHのエンブレムが・・・・・。
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by tokyo-farwest-net | 2009-12-05 18:17 | ■東京・23区

東京銀座の電通ビル

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◆電通旧本社
  ◎設計:横河民輔(横河工務所)
  ◎施工:直営
  ◎竣工:昭和9(1934)年
  ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
  ◎所在地:東京都中央区銀座7-4-17


電通というと近年汐留に完成した総ガラス張りの新社屋がよく知られていますが、銀座7丁目の外堀通りに建つこのビルは同社の先々代?にあたる本社屋です。設計は日本橋の三越本店丸の内の日本工業倶楽部の設計などを手掛けた横河工務所が担当しています。また竣工まもなくに撮影されたモノクロ写真を見ると、外壁タイルの色は判断できませんが、その他の箇所は当時の姿を維持しています。モダニズムデザインなビルの登場は、当時の東京っ子たちを驚かせたに違いありません。
そしてこのビルのもう一つの見どころが、玄関上に取り付けられた毘沙門天と吉祥天の石彫りのレリーフ。モダニズム風のビルの外観と日本的な文化という組み合わせというのも少し意外な感じもしますが、これがなかなか似合っています。銀座界隈を散歩する時には必ず立ち寄ってしまう、私のお気に入りの昭和モダニズムのビルの一つです。

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by tokyo-farwest-net | 2009-12-04 23:23 | ■東京・23区

東京日本橋の三越本店

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◆三越本店
  ◎設計:横河民輔(横河工務所)
  ◎施工:直営
  ◎竣工:昭和2(1927)年
  ◎構造:鉄骨鉄筋コンクリート造り
  ◎所在地:東京都中央区日本橋室町1
   ❖東京都選定歴史的建造物


戦前築の歴史的建造物が数多く残る東京の日本橋ですが、その中で代表的な建物と言えるのがこの三越本店でしょう。
皆さんもご存じのように三越は明治37年に西欧式のデパートメントスタイルを採用、大正3年には建築家・横河民輔(横河工務所)設計による鉄骨5階建ての新店舗を完成させています。しかし大正12年の関東大震災で以前の店舗が焼けたため、横河の設計により再建されたのが現在の店舗です。またタクシー乗り場などがある日本橋側の棟は昭和10年代の増築とのことですが、一体感あるデザインが施され違和感ない仕上がりになっています。
三越の建物外部のデザインは、大正期に竣工した先代の店舗のルネサンス調を継承したものですが、建物内の中央吹き抜けや細部のデザインは、この当時全盛を極めていたアールデコが用いられているのが特徴としてあげられます。買い物ついでにアールデコの装飾探しをしてみるのも、面白いかも知れません。豪華でありながら、大衆的で親しみやすいのがこのデパートの最大の魅力と言えるのではないでしょうか・・・・・・。

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こちらは地下鉄三越前の装飾。
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by tokyo-farwest-net | 2009-11-11 11:11 | ■東京・23区