横浜山手の34番館

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◆山手34番館
  ◎設計:不詳
  ◎施工:不詳
  ◎竣工:大正12(1923)年、関東大震災以降
  ◎構造:木造2階建て
  ◎所在地:神奈川県横浜市中区山手町34


今回紹介する邸宅は山手本通りに建つもので、一般公開はおこなわれていませんが、山手に現存する戦前築の洋館の中ではトップクラスに入る優れた作品です。
比較的小振りな作りではありますが、腰折れ式のマンサール型屋根、2階部分のスレート葺きなど、重厚感ある佇まいは周辺の建物とは違う存在感を放っています。また2階外壁にスレートが葺かれていることもあり、神戸・北野異人館の〔うろこの家〕を連想する方もいらっしゃるかも知れません。個人の所有ということで公には紹介されることは殆どありませんが、ハマ版・うろこの家とアピールをしたくなるような存在です。

そしてこの邸宅も、山手に現存する洋館と同じく関東大震災後に建てられたものと言います。震災を機に横浜で暮らしていた外国人の殆どは、神戸をはじめ他の町に転居し、これ以降山手では小中規模の邸宅が多く建てられたといいます。山手34番館も、この当時建てられた山手の洋館と同様シンプルな作りですが、「この先も私は横浜で暮らし続けるのだ!」という当時の施主の意志を私は感じてしまいます。
また数年前に大規模な改修がおこなわれ、ご覧のように輝いた姿になっています。一般の方が所有されているので、迷惑にならない程度に見学して頂きたい横浜の名邸宅のひとつです。

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こちらは34番館の近くにある洋館。これも関東大震災後に建てられたもののよう。
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by tokyo-farwest-net | 2009-07-03 00:00 | ■横浜・山手 | Comments(10)
Commented by gipsypapa at 2009-07-16 17:21
時期外れのコメントですみません。
これが34番館だったのですね。納得。
ところで最後の写真の洋館は素晴らしいです。
坂を下ったとこにあるようですが初めて見ました。
いつか山手を再訪するときがあれば、
またもう少し詳しい場所をお聞きするかもせれません。(^^)
Commented by tokyo-farwest-net at 2009-07-16 22:44
gipsypapaさま、こちらの洋館は山手に現存するものでもトップクラスに入る素敵な邸宅だと思います。
あと最後の洋館ですが、34番館を目指していただければ、目と鼻の先なのですぐに見つかると思いますよ(^-^)
Commented by es at 2009-07-21 19:37 x
スレートと聞くと屋根材のイメージが強いのですが、外壁に貼る理由は何なんでしょうね。
「うろこの家」や雄勝(石巻)の木村邸は壁面全体に貼られているように見えますし、飫肥(日南)にある旧飯田医院は前面だけにスレートが貼ってあります。
光の具合によってグラデーションによる微妙な色彩の変化が美しいですから、案外単純にそれを期待したのか・・・とも思いますね。
地域や建築年代もバラバラの建物に貼られていますから、当時の流行とかにも関係なかったんでしょうか・・・?
Commented by tokyo-farwest-net at 2009-07-21 21:34
esさま、スレートといえば屋根に使われていることが圧倒的に多いですね。
それで外壁に張る理由ですが、防火目的なのかそれともただ単にアクセサリーなのか・・・・?、これって結構奥の深い疑問です(笑)
もしかして当時スレートの製造会社が、「外壁材にどうぞ!」なんてコマーシャルしていたんでしょうかね(笑)
Commented by satomicherryblo at 2012-01-05 19:11 x
34番館は戦中から戦後の少し父が住んでいました。よく中の様子や間取りや調度品の話を聞いたことがあります。戦後少し猶予がありましたが洋館という理由で米軍に接収されました。
Commented by tokyo-farwest-net at 2012-01-07 19:37
satomicherrybloさま、はじめまして。
お父様が一時期こちらの邸宅で暮らしていたとの事ですが、時代背景から考えると戦時色が強くなり以前の家主(外国人?)がここに住まわれたという事になるのでしょうか。
私の知り合いの方で自邸を米軍に接収されたという方がおりまして以前話を伺ったところ、返還後は以前の間取りや調度品などまったく変わっていたとのことです。
Commented by satomicherryblo at 2012-01-08 22:37 x
はじめまして、父は今81歳ですが幼少時から戦後接収される日まで家族で住んでいました。当時の最初の持ち主
ウドルフさんから日本人のG氏へ売られ、G氏から私の祖父が買いました。ただ今、洋館の歴史を調べている知り合いからの当時の接収した際の名簿の名前が祖父ではなかったので不思議です。調度品はほとんど父の兄弟の医学部の学費で売りさばいて消えました。河合玉堂の金屏風もありましたし、ビリヤード台やその他祖父が乗っていた車のオースチンの話などを聞きました。父一家は接収され横浜市からあてがわれた吹きざらしの家に住んでいましたがその後山手34番館に戻ることはありませんでした。
Commented by tokyo-farwest-net at 2012-02-18 17:37
コメント有難うございます。そのようなストーリーがあったのですね。
Commented by satomicherryblo at 2012-03-02 04:44 x
知られていないストーリーは山手町にたくさんあります。山手34番館についていえば、改修前、改修前、改修前と父の生きた最後の状態から4,5回改修されています。個人的には生垣があってガレージがない本来の34番館が好きです。ペンキも大正から色が変わっていなくてその海外製のペンキの色褪せ感が私は好きでした。スレート屋根もペンキが違うのでべったりした感じで建築重視、伝統の維持が日本では日本人の性格上でいないのかと思います。また維持する力も。洋館は当時住んでいる方は100年後山手がこのようになると想像できたのでしょうか?バランスを維持する暗黙の了解の西洋人的な人たちの意思が全てないのが今の山手町な感じがします。
Commented by tokyo-farwest-net at 2012-03-03 18:07
satomichicherrybloさま、またまた貴重な情報有難うございます。
確かにガレージど戦前築の洋館と言うのは不釣り合いな感じがします。
最近建てられた洋館風の新興住宅など、当時の人たちから見ればかなり異質の現在の山手と言えるのではないでとょうか・・・・。
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